罠を仕掛けて自分で嵌る、羽山です。
さて、今日は言葉について考えてみようと思います。
言葉には力があります。
人を妄想に取り付かせたり、傷つけたり、助けたり、とんでもないミスを引き起こさせたり。
「言葉による罠」ってめっちゃ怖いですよね。
私、自慢じゃないですけど、結構年とるまで、「ロイホ」はいやらしい場所のことだと思ってました。
親の前で使っちゃいけない言葉だと思ってました。
実際は「ロイヤルホスト」の略なんですけど。
だから、スピッツの歌に「ロイホ」という言葉が出てきたときはショックでした。
「街道沿いのロイホで 夜明けまで話し込み 何も出来ずホームで 見送られる時の 憎たらしい笑顔」
だー!!正宗さん!!何する気だったんだ!!
そんないやらしい歌を歌うのか!!と。
そしてそんないやらしい歌のCDを妹に貸すのか、我が兄よ!!と。
真実を知ったときは、本当に恥ずかしかった。
ちなみに、「グルグル」をエッチな言葉だと思っていたニケ君の話もありますよね。
あの話は、幼い時の親とのコミュニケーションが子どもの言葉へのイメージを構築し、大きくなっても影響する、
という良い例えだと思います。
まぁそんなこんなで、言葉の罠はその辺ごろごろしているわけですよ。
今も気づかぬうちに、私たちは罠にかかっているかもしれないんです。
そんなことを昨日の晩、グルグル考えてましてね。
なぜそんなことを考えたかというと。
今、私が読んでいる本なんですけど、
この本は、最近の重罰化傾向についてノンフィクションライターの方がいろんな専門家の方にお話を聞いて書いている、という、非常に「真面目な」本なんです。
その取材されている専門家の方の中にね、
あるドキュメンタリー監督がいらっしゃいましてね。
この監督さんが、映画を作るにあたっての覚悟とか、そういうものを、
もちろん本の趣旨に沿ってはいるんですが、熱く語っておられまして。
私はとても感動したのです。
で、どういう作品を作っている人なのかなー、と。
その方の紹介文を読みました。
ありましたよ。「罠」が。
代表作・『童貞。をプロデュース』
って、ちょっとちょっと、これって・・・あれ?
いろんな意味で、アレ?
映画の中の虚構と現実の間での製作者の葛藤とか、何かすごい話をされていた方が。
おいおいどんなドキュメンタリー映画を撮っているのかと。
だって、タイトル的には・・・アレ?
そこで私は、高校生の頃、大好きだったドラマ作品が
AVでパロディされていることを知って大変ショックを受けたことを思い出しました。
まだそんな、商業手法とか、資本主義とか、売れりゃ良いんだよ、みたいな考えを軽蔑していた頃の私が、
もう何か、ショックだったのを思い出しました。
だって、タイトル的にはアレ、『野ブタ。をプロデュース』のパロ的な、アレでしょう。
つまり、そういうことでしょう。
この時羽山は、自分が罠に落ちていることに、気づく術もなかった。
そんな感じです。
で、今日、本当のところどうなんだろう、ということで、まぁいわゆるガキの好奇心で、
そのドキュメンタリー映画(?)について調べてみました。
・・・HPを見た限りでは、そんなアレな映画ではないみたいです。
むしろ、現代の若者と向き合う、みたいな、ある種社会派の匂いも感じる作品みたいで。
予告編も見ましたけど、まぁ、アレな物ではなかったようです。
また、私は騙されてしまったのですね。
「童貞」という言葉の持つ力に。
ドンマイっちゃぁドンマイですけど。
よく考えたら「童貞」という言葉自体は
そんないやらしい事を彷彿とさせるようなものではありませんものね。
単に、私が勝手にその言葉がいかにして使われているか、ということから
勝手に妄想を膨らまして、勝手に動揺していただけなのです。
罠にかかっていました。
罠にかかっていた、といえば聞こえは良いですが、
中二病なだけです。
でもやっぱ、言葉のイメージって恐ろしい。
これからはもっと言葉に気をつけようと思いました。
そして、表現する時は、この力をうまく使えるといいな、とも思います。
このドキュメンタリー監督様とファンの方、ならびにこの本の著者様、
そしてスピッツの皆さん、ホントすみませんでした。
私の至らないところ(中二病)で勝手に誤解してしまいまして。
実は罠なんじゃないか、と思っている作品がまだあるので、
それについても追々調べていこうかな。
実は隠れた超名作なのかも知れない。
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